深夜の友は真の友

人生は短く、夜もまた短い。今日できることは明日に延ばして、せめてこの深夜の一時を…

源義経の騎馬軍団と、馬の文化

   

悲劇の武将といわれる源義経ですが、また天才的な戦術家ともいわれています。平家軍と闘うために源頼朝が鎌倉を出発したのは治承4年10月16日で、富士川の戦いは10月20日ですから、義経がそれを知り奥州を出発したとして、およそ600キロの行程を一気に走破して兄頼朝と対面したのです。

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この時の行程がいかに過酷だったのかは、義経が奥州を出立したときには300騎ほどの手勢だったのが、兄と対面する黄瀬川に到着したときには85騎になっていたという逸話からも、どれほどの過酷な強行軍だったのか想像できます。そうして義経がいかに馬による機動力を発揮するのが得意なのか想像できる逸話だとおもいます。

この義経の機動力の源泉が馬なのです。東国武士の騎馬技術は平家物語にも「馬に乗っても落ちることを知らず、悪所を疾走っても馬を倒さず」と書かれているとおり東国武士の騎馬技術は卓越したものだったようで、義経が東国で育てられなかったら、これほどの騎馬戦術を身に付けることは無かったでしょう。


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当時の日本では西は「牛の文化」、東は「馬の文化」でもあったのです。東国では良馬の産出地でもあり、日常生活にも馬が活躍してたのでしょう。当時は馬は貴重な輸送手段でもあり、機動力でもあったのです。合戦時には敵を蹴散らす戦車として使われた馬の威力は、その戦いの勝敗を決する戦力となったのです。

平家物語を読んでも「壇ノ浦の戦い」は別にして、「宇治川の戦い」「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」など、その戦いのすべてが騎馬戦でした。義経が木曽義仲と川をはさんで対峙した「宇治川の戦い」の先陣争いの場面は、東国武士らしいエピソードですが、この場面でも馬が主役となっています。また「馬筏」という方法で川を渡ったりと、馬に関する逸話がいたるところででてくるのも興味深いです。

では、当時の東国武者が「良馬」というのはどのような馬だったのでしょうか?

当時の本によると、「眼光鋭く」「鼻大きく」「顔がしゃくれて尖り」「足、首 ともに太く」をもって良馬とされたようです。つまり、現代のサラブレッドのようなスマートな馬ではなく、頑丈なトラックのような馬が「名馬」とされていたのです。

平家物語に出てくる「名馬」も、気性が荒くやたらと人に噛み付く荒馬で、この馬を取り押さえるのに大の男が6人もかかったという話が書かれています。戦国時代に日本に来た欧州人が日本の馬をみて「まるで猛獣のようだ」という感想を書いているくらい、当時の日本の馬は気が荒かったのです。

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