日本刀の「樋(ひ)」は刀身の軽量化の為に彫るのではない
2023/06/07
日本刀の「樋(ひ)」(別名「血流し」)は何のために彫るのでしょうか?
「樋(ひ)」とは「物の表面に作った細長いみぞ」のことです。日本刀に彫られている(「掻く」ともいいます)「細いみぞ」も「樋(ひ)」といいます。
私が日本刀に興味を持ち始めたとき、日本刀の刀身に彫られている細い溝は何のためにあるのかわかりませんでした。わざわざ手間をかけて、こんな溝をを刀身に入れる理由は何故なのだろうと疑問に思いました。
そこで、日本刀につてい書かれている書籍を読んだり、ネットで調べたり、居合道の高段者の先生に聞いてみたりと、私なりに色々と調べてみました。
しかし、私が納得できる理由を知ることはできませんでしたが、これまでに私が調べた範囲で日本刀の「樋(ひ)」の機能につてい解説したいと思います。
「樋(ひ)」「血流し」と言われる溝はこれです
■日本刀の「樋(ひ)」の機能につての一般的説明
日本刀の解説書などに書かれている「樋(ひ)」の機能につての一般的な説明を列挙してみます。
(1)刀身の軽量化が目的
日本刀に「樋(ひ)」を入れる理由として、この「刀身の軽量化が目的」という見解が一番多いようです。
以前、あるテレビ番組で、若い刀匠が日本刀を作る過程を放映していました。番組の中で、その刀匠は「樋を入れることで、刀の重量を1割ほど軽くすることができます」と言っていました。この刀匠は「樋」の役割を「刀身を軽くするため」と理解しているようです。
(2)刀身の左右からの力に耐性を持たせるため
建築に使う「H形鋼」や、鉄道レールなどを例に出し「左右に溝を入れる」ことで、刀身の左右からの衝撃にたいして耐性を持たせるのが樋を入れる目的という説明です。
あるいは、樋を入れることで、刀身の左右からの衝撃にたいして耐性を弱らせることなく、刀身の重量を軽くすることができるという説明もあります。
(3)刀身に付着した血を溝を伝って流すのが役割
「樋」は「血流し」とも呼ばれますが、刀身に付いた血をこの溝を伝って流すためという理由です。
(4)日本刀の制作過程で刀身に出来た傷を隠す為に掘られる
日本刀の制作過程で刀身に出来てしまった傷を消す為に「樋」を彫るという理由です。
(5)美観を整える為に「樋」は入れられる
これはある有名な刀剣鑑定家の著書に書かれていた説明です。確かに、装飾が目的としか思われないような「樋」が入れられている日本刀も見受けられます。
■日本刀の「樋」の機能につての一般的説明に対する「私の疑問」
(1)「刀身の軽量化が目的」という説明への疑問
私は「居合道」を学んでいました。居合道で実際に日本刀を使って感じたのは、「日本刀は軽い方が良いのか?」ということです。
例えば「ゴルフクラブ」や「野球のバット」は軽いほうが良いのでしょうか?
もし、とても軽い「ゴルフクラブ」や「野球のバット」があったら、あなたはそんな「ゴルフクラブ」や「野球のバット」を使いますか?
軽いバットでは、ピッチャーの投げたボールのパワーに負けてしまい、ボールを打ち返すことなどできませんよね。
日本刀は「軽ければ、軽いほど良い」という思い込みは、時代劇の「チャンバラ」の影響なのでしょうか?
時代劇では、侍が敵をバッタバッタと斬り倒しますが、実際にはあのように日本刀で敵を斬ることなどできません(笑)
幕末の動乱を生き抜いた剣術家が、明治時代に剣術を教えていたとき、「刀による実際の戦いは、演劇のチャンバラのようなものではない」と弟子たちに戒めていたという記述を読んだことがあります。
また、剣道というものが竹刀を使ったスポーツになったのが原因でしょうか?
現代の剣道は竹刀を使い、相手に「当てる」ことで「一本」取ることができるスポーツです。「当てる」のが目的なら、竹刀は軽いほうが有利です。
世界中の「武器」というモノは「戦争」で使われることで進化してきました。日本刀も「戦争」で使われることで、その時代の戦争形態により「変化」してきました。
鎌倉時代は、重い「大鎧」を身に着けた「騎馬武者」が戦争の主体でした。ですから、騎馬武者が使いやすい「太刀」が用いられました。
室町時代以降は、「足軽」のような「徒武者(徒歩で戦う武士)」が戦争の主体となり、徒武者が使いやすい「刀」が主体となりました。
戦争で使われるのですから、相手は「鎧、兜」で武装しています。ですから、刀剣は「鎧兜」に斬り付けても「折れない強度と重量」が必要なのです。
日本から戦争が無くなった「江戸時代」には、軽くて細身の日本刀が好まれるようになりました。そうして幕末の動乱期になると、また実戦的な「切れ味鋭く、折れにくい」刀剣が求められるようになりました。刀剣もその時代により変化してきたのです。
日本刀に「樋」を彫り込むのは「刀身の軽量化が目的」とする場合、前述の刀工の話では「重量を1割ほど軽くできる」そうですから、例えば重量が1kgの日本刀に「樋」を彫り込むと100g軽くなる計算です。刀身をたかが100g程度軽くする事に何の意味があるのでしょうか?
日本刀に「樋」を彫り込むと、空気抵抗が増し刀身は重くなる
さらに、日本刀を実際に使ったことがある人なら体験的に判るはずですが、樋を入れた日本刀を振ると、樋自体が刀身の空気抵抗を増し刀がとても重くなるのです。
この「樋を入れた日本刀」が空気抵抗を増して「重くなる」のは、日本刀で素振りをした経験の無い人が想像する以上に重くなります。
棒(竹刀、木刀など)の先端に手拭やタオルなどの布切れなどを着けその棒を振ると、空気の抵抗を受け「棒は重く」なりますよね(旗を振ると旗自体が空気抵抗を受け重くなるのと同じです)。樋入りの刀が空気抵抗を増し重くなる感覚も同じような感じです。
樋が入っている日本刀を振ると、空気を切る「ピュッ」という音がよく鳴ります。あの音が出るということは、それだけ空気抵抗が強くなったということです。ですから居合の高段者ほど「樋入り」の日本刀は「重くなる」ので使いたがらないと聞いたことがあります。
刀身を軽くするために入れるという「樋」ですが、実際に刀身に「樋」を入れると逆に刀身は重くなるのです。
しかし、この「樋入りの日本刀は重くなる」といっても「重量のある日本刀」とは意味がまったく違い、例えるなら水中で体を動かす感じの「重さ」です。
日本刀の体感重量は、刀の重量バランスで決まる
「日本刀の体感重量」は「刀自体の重量」とは、少し違うのですね。
野球でも、バットを「短く持つ」のと「長く持つ」のでは、バットの(体感)重量が異なるのは理解できるでしょう。
短くもった方がバットが「軽くなる」のでヒットを打ちやすくなります。バットを長く持つと重量は「重くなる」ので、ボールへの打撃力が強くなりホームランが出やすくなります。
バット自体の重量は変わらないのですが、バットを「持つ位置」で、(体感)重量は変わります。
これはバット自体の重心より離れた位置で持つと(体感)重量は重くなり、重心の近くを持つと(体感)重量は軽くなるからです。
日本刀も同様の理屈で、日本刀の重量バランスにより刀の(体感)重量が変わるのです。
これは古代ローマ帝国の兵士が使っていた剣(レプリカ)です。兵士は大型の盾を持ちますので、剣は片手で使います。ですからこの様な短い剣の方が使いやすいのです。
この剣は、先が大きく尖り「斬る」より「突く」ことを主体とした剣なのがわかると思います。兵士は大きな盾で自分の体を守り、盾の横から、相手を突いて攻撃したのでしょう。
この剣にも「樋」が入れられています。さらに柄頭の部分は丸く膨らんでいますよね。
この柄頭の部分をわざわざ重くすることで「剣の総重量」は重くなります。しかし、剣の重心は手元に近くなるので「体感重量」は軽くなり、片手でも扱いやすくなるのです。
この剣は「突く」ことを主目的に作られているので、このようにかなり重いウエイトを柄頭部分に置いて、重心の位置を手元近くになるように調整しているのでしょう。
バットを短めに持つと、バットの体感重量は軽くなり、バットを素早く軽快に打つことができるようになるのと同じ理屈です。
日本刀も、「重い鍔(つば)」や「軽い鍔」を使う、柄(茎:なかご)を「長くする」「短くする」などで、刀の重心の位置を調整することができます。
この「重心の位置」を調整することで、自分に最適な「重さ」の日本刀にすることができます。
※「鍔(つば)で刀の重心の位置を調整できる」といっても、刀に「鍔」を付ける理由は刀を持つ人の「手元の防護」が目的です。
(2)「刀身の左右からの力に耐性を持たせるため」というのは本当なのか?
この「刀身の左右からの力に耐性を持たせるため」という説明は工学的に意味があるのでしょうか?
「H形鋼」や「鉄道レール」などは、あのような形にしたからといって、全体重量の軽減にはなりますが「強度が増す」ということはありません。日本刀に「樋」程度の「ミゾ」を彫り込んだくらいで「H形鋼」や「鉄道レール」のような意味があるとは思えません。
私の経験でも「樋」の入った刀は、「樋の無い鎬造り」の刀より横からの衝撃には弱いと感じます。
(3)「刀身に付着した血をこの溝を伝って流す役割」という説明は無意味では?
刀身に付着した血を溝を伝って流す為に、わざわざ刀身に溝を彫るという説明には意味がないですよ。
刀剣とは、それを使う者には命をかけた戦いの場で使うのです。刀身に付着した血を溝を伝って流すことに何か利点はあるのでしょうか?
樋の機能が「刀身に付着した血をこの溝を伝って流す」というなら、刀身に付いた血は自分の手元の方に流れてくる可能性もあるのです。これでは血で手元が滑りやすくなり逆効果です。
(4)「刀身に出来た傷を隠す為に樋を入れる」という理由への疑問
日本刀の制作過程で刀身に出来てしまった傷を消す為に「樋」を彫るとのことですが、これは実際にあるそうです。
刀の制作過程や、完成後に出来た「傷」などを消す為に「樋」を彫り入れる事で、その傷を消し去るとのことです。
しかし、この説明も刀身に「樋を入れる」本質的な理由にはなりません。あえて刀身に「樋を彫り込む」には、もっと本質的な理由があるはずです。
(5)「刀身を美しくするためにいれる」という説明への疑問
日本刀を見ると、確かに刀身の美観を整える為に入れられていると思われる「樋」はあります。しかし、この説明も刀身に「樋を入れる」本質的な理由にはなりません。
日本刀というのは、それを使う者には命を掛けた戦いの場で使う武器なのです。そのような日本刀に「美観」の為に「樋」を入れるなどというのは理由になるでしょうか?
■刀身に入れる「樋」は日本刀だけに彫られているのではない
この「樋」ですが、日本刀だけに入れられているものではありません。日本の刀剣類でも「槍」「短剣」をはじめ、世界の刀剣類にも彫られています。
下の写真はツタンカーメン王の墳墓から発掘された3000年以上も前の短刀ですが、この短剣にも「樋」が入れられています。
つまり、3000年以上前でも刀剣に「樋」を彫り込む「必要性」が認識されていたということです。
この短刀に彫り込まれている「樋」が、この短刀の「重量を軽くするため」とか「横からの衝撃に耐性をもたせるため」とは考えられません。
■刀剣の「樋(ひ)」の機能について、私の見解
日本刀に限らず、世界の刀剣類にも「樋」が彫り込まれていますが、この「樋」の機能につて私の見解を書いてみます。
この「樋」が入れられている刀剣類に共通するのは「突き刺す」武器であるということです。日本刀も、「切る」だけでなく「突く」機能もあります。
動物の筋肉は強い衝撃を受けると、体を守るためにギュッと「収縮」するように出来ているそうです。
この筋肉が収縮する力は、想像以上に強く、突き刺した刀剣類が「抜けなくなる」くらい、強い収縮力だそうです。丁度、刀身に「筋肉の吸盤が吸い付いた状態」になるのです。
これは、近代の戦争で銃剣を使った白兵戦経験者の体験記などを読んでも「敵兵に突き刺した銃剣が抜けなくなる」という記述を見ることがあります。
ですから「突き刺す」武器である「銃剣」には「樋」が彫り込まれているモノがほとんどです。
では、壁などに付いている吸盤を剥がすにはどうしますか?
吸盤の隅を少し剥がすようにして、吸盤内に空気を入れると、すぐに吸盤は剥がれますよね。
刀剣類の「樋」も、これと同じ機能をするのです。
この「樋(みぞ)」部分から空気が入るようにすることで、強く収縮し吸盤のように刀身に張り付く筋肉の吸着から「刀身を抜けやすくする」のです。
「樋」を刀身部分に「彫り込まれている」のは、日本刀だけでなく「槍」「短剣」などにも入れられています。さらに世界の剣や短剣類、ナイフなどにも「樋」が入れられている場合も多いですね。
上記のような「樋」の機能は、戦争などが無い平和な時代には忘れ去られてしまうのでしょう。このようなことは「実戦」の経験者しか分からないことですからね。
そうして、平和な時代が続くと「樋」の機能が単なる「装飾や刀身の軽量化」などというように考えられてしまうのかもしれません。実際に「樋」が刀身の装飾の為に彫り込まれている日本刀もよく見受けられます。
狩猟で使う外国製のナイフなどにも「樋」が彫り込まれている場合があります。狩猟では実際に「樋」の機能が実感できるからでしょう。
居合道を学んでいるのなら、諸流派により「突く技」の形は異なるかもしれません。しかし、刀身に「樋」が必要となる理由を知ったなら、その「突く技」で「何故このような動きが必要なのか」が、より理解が深まるのではないでしょうか?
例えば、ある居合の流派では、相手に突き刺した刀を抜く場合、「手だけで刀を引く抜くのではなく、腰を使うようにして体全体で抜け」。
また、「刀の峰に手を添え、相手の体を切り裂くようにして引き抜け」と教えられます。
これらも「筋肉が吸盤のようになり、刀身が抜けなくなる」ということを知ったら、納得できる説明だと理解できるでしょう。
このように「世界中の刀剣類」に「樋」が入れられているのは、それなりの必然性が在るからなのです。決して「刀身を軽くするため」などではありません。
■刀の持ち方は「現代の剣道」と「江戸時代の剣術」では違う
⇒http://oyajika.com/7503.html
■太刀についての基礎知識
⇒http://oyajika.com/7391.html
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